懇親会時、Yさんの体験談
ステップのプログラムは現在オンラインで開催してますが、時々懇親会を事務所で参加者の皆さんと行っています。
今回の懇親会(60数名参加)で修了者のYさんが体験談を語りました。
原稿を頂きましたので長文ですが原文のまま紹介いたします。
私の別居及び調停は9年前です。去年から同居しました。ステップには別居翌月から約2年弱通いました。ステップ2年目で妻とラインでやり取りができるようになり、その1年後から妻と会ったり別居先へ行ったりできるようになりました。
私は理屈っぽく、私の意見のほうが経済的だ、合理的だと妻を説き伏せることが多かったと思います。また、人間関係については子供の頃から好き嫌いが激しく、好きな人なら何でも許してくれると思って距離を近くとり、トラブルになることがありました。一方嫌いな人や、トラブルを起こした人に対しては口も聞かず、関係性を断ち切ってしまうところがありました。また、正しいことなら何をやってもいい、手段は問わない、悪いことは断罪されるべきという、好き嫌いや善悪について極端な価値観を持っていました。理屈の上でつじつまが合っていないと気が済まない一方で、気を許した相手なら何でも許されるという甘え、思い込みがあって他人との距離を適切に保つのがとても下手だったと思います。
妻に対しても、妻は夫を労うべきと考え、私の「べき」に沿わない妻の判断力、価値観は異常だと考え、妻を矯正することが私の使命と思うようになりました。矯正とか使命感という言葉がとてもしっくりくるモチベーションになっていたと思います。妻が私の期待するとおりの反応をしないと私は妻を何日間も無視しました。妻は無能で無知で、社会的に無価値な存在と決め付け、妻からの歩み寄りを無視により拒否しました。求めているのは完全屈服でした。私にとっては誇りをかけた戦いと信じて疑っていなかったです。
直接暴力で妻を変えることは犯罪なので妻を精神的、経済的に枯渇させることによって妻を変えようとしました。その期間は、約10年以上です。でも妻によると結婚直後からだったそうです。となると別居当時からさかのぼって15年くらいということになります。
私から歩み寄る選択肢はありませんでした。歩み寄ることは敗北と考えていました。このような被害者意識や、独りよがりの正義感を持っていたものですから、リビングから聞こえてくる妻と子供たちの笑い声を聞き、このままのけものにされお金だけ吸い取られていくのか、畜生、明日はもっとひどいことをしてやる、と私の思考は悪循環の一途を辿っていました。生活費を家に入れないようにもなりました。扉をバーンと閉めたり、ごみを散らかしたり、離婚届を玄関において出勤して、片づけられたらまた新しい用紙を置いてを繰り返しました。とにかく身体的暴力以外で妻が嫌がることを四六時中考えて実行していました。別居前のころにはもう自分が何をしたいのかすらも分からなくなっていました。
家族が家を出て行って、ネットで自分の行為を調べて初めて、自分の行為がDVであり、モラハラであることを知りました。これなら犯罪ではないだろうと思い込んでいたことは、立派な犯罪でした。仕事から帰宅するといつも点いている家の明かりが真っ暗なんです。腰が抜けて、まったく立ち上がれませんでした。あれだけ妻を無視して攻撃していたのに、いなくなったらがっかりしているんです。一見すると矛盾してますよね。今振り返るとそれだけ終始にわたって妻に依存していたということです。
ステップでは皆さん大変明るくされていて、とても加害者の集まりとは思えないような雰囲気でした。加害者が何故このように明るいのか、違和感を感じていました。これが精神的自立を目的としたものであることに気付くのは、何ヶ月も先のことでした。以下はステップで私が強く心に残っている学びです。
①選択理論
上質世界について、自己中なうえに当時妻の考えていることの情報が少なくてきっとこういうのが上質世界なのかな?という想像が苦手でしたが、学びの仲間からの助言で「きっとこの人はこういう風に思っていたんだ」等の上質世界を思い描くと受け止め方の思考が変わって感情も変わってきました。この時に上質世界は必ずしも正解をあてはめなくてもいいことを経験しました。なぜなら当時の課題は怒りの全行動をなくすことが大事だったからです。最初はリフレーミングに数日間をかけていましたが、やがて数秒で自動車を1周できるようになりました。リフレーミングを一番邪魔するのは歪んだ受け止め方と思います。私のそれは仲間外れにされることでした。妻が2人の子供を両脇に抱えてどうしてそんなひどいことをするの?と私に訴えてくる姿を今でも覚えています。その姿に対する妻と私の受け止め方は全く異なっていました。これは姉と妹に挟まれて仲間外れの目にあって嫌な思いをして育ってきた経験が関係していると思います。自己防衛するために私はDVをして、お互いが疑心暗鬼になっていく、だから想像でもいいから全行動に他者の上質世界を取り入れる選択理論は非常に斬新でした。
②自己の充実
ステップで学ぶ仲間は得難く、大切なよりどころでした。私はあまり目立たない参加者だったと思いますが、孤独で毎週土曜日のステップを待ち遠しく感じていました。ステップ1年目の12月に参加したときに教室の壁にクリスマスの飾り物が飾っていて、みんなでかわいいねと言ってたところ、私は「かわいいの根拠って何ですか?」と訊いてドン引かれたことを覚えています。精神が貧しかったのだと振り返っています。ひょっとしたら皆さんの中にも今は孤独を感じている方がいらっしゃるかもしれませんが、ぜひ、一人じゃない、ここにいる仲間と一緒に学べているんだという事実に気づいてもらえたらいいなと思います。自分が枯渇していては前に進むのは難しいと思います。
③
過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる
これも当時は衝撃的でした。エー他人って変えられないのーって本気で驚いていました。いまから考えると正しい病、べき思考ですね。
④相手は最善の選択をしている
この言葉を思い出すたびに罪悪感に締め付けられます。妻は食事や洗濯、家事育児に追われて、私が給料を渡さない期間が長期に及んでも、子供たちに影響を与えまいと懸命に明るく振舞っていたのです。それが妻が選んだ、最善の選択だったのです。どれほどの思いでいたのかと思うと・・言葉になりません。以来、人が選ぶ言葉や行動には深い意味があるということを忘れないでいます。
⑤傾聴
私はこれが苦手で、1週間ごとに具体的な目標を立てて日常生活で実践しました。仕事で何でもかんでも受容して行き詰るという失敗も経験しました。
実は傾聴についてはステップでのロールプレイよりもその後の実践で気付きを得て、その時に初めて傾聴による相手の感情とその変容を実感しました。ステップを卒業して5年後のことです。言い換えると、上質世界を仮置きや想像のものではなく、正確に相手の上質世界を理解して初めて出てくる言葉や態度が、傾聴であり共感なのだと思っています。
ステップでの最初の3ヶ月は、私も悪いが妻も悪いという、被害者意識が抜けきりませんでした。
その後、罪を自覚してからはこのような私が更生して意味があるのか、加害者は被害者の前から消えたほうがいいのではないかと考えるようになりました。この状態は4か月目以降、別居3年目に再び会えるようになるまで続きました。このときも、笑顔で前向きになれないなら、まずは形から入ってはいかがかと言う仲間からの助言を得て実践しました。そして自分がどう感じているか、ではなく、相手が自分をどう感じるかがとても大切なこと、そして形が中身を作ることもあるんだということを、この実践で体験しました。
ステップで学んでいたころまでと現在との変化ですが、私は仕事を家庭に持ち込まないタイプでしたが、その代わりに不機嫌を撒いていました。今では仕事のことやステップのこと、趣味のこととか、その日にあった出来事や感じた感情を妻に言うようになりました。妻の方も仕事の悩み事とか自身の生い立ちを私に言ってくれるようになりました。別居中に会えるようになってからは喫茶店等で数時間いろいろな話をしました。今のは聴いてくれたね、今のは全然聞いてくれてなかったよね、等、あの対話でお互いの関係性が変わってきました。
妻の方の変化も感じています。私がストレスをためないように、何か悩み事はない?と聞いてきます。この辺はDVの影響なのだろうなと申し訳ないなと思うので一通り聞いてもらってから感謝を伝えています。お互いに、お互いの考えではなく、価値観や感情に焦点に当てた対話をするようになったと思います。そういえばいつの間にかユーメッセージを言い合わなくなっています。
朝晩の挨拶とお疲れ、が二人の安定を維持する言葉として定着しています。どんな時でもこのルーチンは忘れずにしています。気持ちを込めて、俺は今日も不機嫌じゃないよ、というメッセージです。
同居に至れたのは私の変化が大前提ではあるのでしょうけれども、それよりもはるかに妻と子供の決断によるところが大きいと思っています。妻になんで同居したのか聞いたことがありますが、ステップへ通っているときの私はステップでの学びをラインしていて妻から見ると「ああ何も変わっていないな」だったそうですがその後約1年間は最低限のやり取り以外はしないようになりました。私は罪の意識によりこのまま去った方が良いと思っていましたがこれが妻にとっては放っておいてくれていたと受け止められていたようです。
人生の岐路を支えてくださった理事長、スタッフのみなさん、一緒に学んできたみなさんに感謝を申し上げます。元に戻る、という表現は被害者にとっては恐怖でしかないので私はもう使いませんが、新しい人生を踏み出せたのは間違いなくステップのおかげです。